性能を追求した結婚相談 大阪
日本経済は膨張し、輸出も好調で、貿易収支の黒字は一方的に増大、世界一の黒字国となった。
圏内では一大消費ブ-ムが起こり、車はもはや費沢品ではなく、生活必需品となった。
女性ドライバーも増え、多様化、ファッション化、高級化が進んだ自動車の買い替えが早くなるほど、圏内の販売台数も急激に伸びた。
対米輸出の制限で減少した利益分を、圏内需要で補うようになった。
一九八六年に五百七十万台だった圏内新車販売台数が、九O年には七百七十七万台に急増、国内総生産は一千三百万台に達した。
消費者もパプルに浮かれ、財布の紐はゆるむ一方だった。
とくに若い世代は、海外に出かげていっては高価なブランド品を買いあさり、小型車に替えて、一段も二段も上のランクの車を求めるようになった。
もちろん、自動車メーカーもそうした傾向を先取りするように、いっせいに高馬力化、大型化、高級化させていった多様化する価値観に合わせて、モデル・チェンジを頻繁に行ない、車種やバリエーションを増やした。
バブル期の一九八六年から九一年までの五年間に、生産車種は約一・五倍に増えている。
一九八一年には約二百種類だったバリエーションも、九一年には約四百種に増加バリエーション総数の半分で、全売り上げの九五パーセントを占めていた。
ということは、残りの半数はきわめて少量生産でしかなかったことになるいくらジャスト・イン・タイム方式でも、量産効果が得られない。
コスト高になるのも当然だった車に必要もないような装備やアクセサリーがつくことになり、エレクトロニクス化も進んだ。
当然、それにともなって価格はさらに上がった。
それでも、・車は飛ぶように売れた。
こうした大型化、高級化した車を求める風潮は、シーマ現象。
セルシオ現象。
などといわれた。
二度の石油危機、排ガス規制、円高を乗り越えて成長した自信から、いつのまにか企業におごりの姿勢が見られるようになり、各社こぞって強気の設備投資を行なった。
新型車の開発には数百億円かかるといわれている。
一九九O年の東西ドイツの統一によって一時的な自動車プ-ムが起こり、翌年には総生産台数が五百万台を突破したが、九三年には需要の一巡とヨーロッパの景気後退もあって、三百七十五万台にまで落ち込んでしまった。
ため、フォルクスワーゲン、オペル、ベンツがいずれも赤字に転落した。
このころを境に、ドイツの車メーカーの姿勢が大きく変わりはじめた。
たとえば、ベンツは高級車路線からフルライン化へと大きく舵を切った。
フオルクスワーゲンは、固有企業の名残から、自分たちが開発した製品を消費者に押しつけるような傾向があったが、そうした倣慢さが少しずつ薄れ、顧客の好みを強く意識した市場優先の商品戦略をとるようになったドイツを含めたヨーロッパ全体にいえること、とくに環境問題、燃費、安全対策を重視して、自動車の小型化が急速に進んだ。
ともあれ、日本と同様に戦後、急成長を遂げ、アメリカを追い上げてきたドイツも、圏内市場が完全に成熟して、一つのタ1ニング・ポイントを迎えたのである。
戦後一貫して成長してきた日本経済も、九0年代に入って減速、停滞、さらにはマイナス成長となり、産業の空洞化が叫ばれる時代を迎えた。
それに対し、かつては輸出先だった東アジアの諸国が目ざましい発展を遂げてきた。
ただ、他の主要製造業では、パソコンなどごく一部を除き、ほとんどが七0年代から八0年代にかけて成長が一段落し、低成長時代に対応した体制づくりを進めていたが、自動車産業は九0年代はじめまで成長が続き、低成長時代に対応した体制づくりが求められるようになるのは、後である。
たえず右肩上がりできただけに、日本の自動車産業は、長期的な観点に立ったうえでの、低成長時代に即した体制づくりをしてこなかった。
ジャーナリズムや評論家たちが口にしていた時代認識と、個々の消費者の意識とはかなりずれがあった。
パプル期の費沢な車を見慣れている消費者からすれば、車はあまりに簡素に映った。
結局、消費者にソツポを向かれ、さっぱり売れなかった。
日本の消費者には、車に対して、実用性だけでなく、目新しきゃ夢のようなものを求める風潮がある。
それに、消費者の目も肥えてきたし、洗練もされてきた。
ブランド志向の要素も感じられるが、高価格ながら、完成度が高いドイツのベンツ、BMW、フオルクスワーゲンなどの車が人気を集めた。
バブル後の反省の中で、六0年代から日本のメーカーは主要車種のモデル・チェンジを平均四年サイクルで行なってきたが、それが短すぎるとの批判も起こり、車種ごとの見なおし機運が高まった現実には、景気が回復するにつれて、再びモデル・チェンジが頻繁になってきた果が薄れてきたときの販売促進策として、マイナー・チェンジを行ない、特別限定車として売り出すケースも増えた。
たとえば、最近とくに人気が高く、乗用車の総販売台数の五割を占めるようになったRV車の新車発表、モデル・チェンジは頻繁で、以前よりかえって多様化している。
それも、パプル期と似て、過剰な装備をつげて差別化を図ろうとする、にわかづくりのRV車が急増している。
率名別のブランド数でみると、パプル末期の一九九O年には百二十三だったのが、九六年には二百十四にも増えており、多くがRV車である最近では、小型RV車の人気が高まっている。
生産面においてはかなり細かいところまで改善が行き届き、もはやそれほど大きな合理化は期待できなくなった。
反面、製品の開発・設計面では、頻繁なモデル・チェンジに追いまくられて先送りしてきた課題が、数多く残っていた。
そこでは、車種を超えた部品の共通化、標準化、規格化、部品点数の削減が進められた。
RV車の人気の高まりとともに多様化すると、「パジエロ」のようないかめしい車はあきられ、人気もいまひとつとなった。
消費者の急激な好みの変化に追いつけず、「パジエロ」一車種に頼っていた三菱は、たくまに低迷することになった。
一九九五年八月、「トヨタの変革」を唱えて社長に就任した奥田碩は矢継ぎ早に新たな方策を打ち出しているが、国際競争も含め、なにごとにおいても「スピードが要求される」と強調しているクライスラー-のイ1トン会長も、「自動車産業の競争では大きい者が小さい者に勝つのではなく俊敏な者がのろい者を食う」(日経産業新聞・一九九六年九月二十三日付)と述べている。
一九九六年六月、経営不振からフォード傘下に入ったマツダの社長に就任したヘンリ-・ウォ-レスも、再建のカギとして次のように強調している。
は、はっきりしている」(日経産業新聞・一九九七年四月十三日付)時代のニ-ズを読み取り、他社よりも素早く開発して市場に送り込み、確実にヒットさせていくことが重要になってきた。
製品の開発だけでなく、生産設備の切り換えや更新、海外への進出、新技術の開発など、経営すべてにおいてそれが必要である。
そうしたことによって、売り上げが大きく上下する時代を迎えたのである。
こうしたシビアな時代になって、もっとも大きな問題となるのが、開発リ-ドタイムである。
開発リードタイムとは、新型車のデザインを固めてから量産を開始するまでの時聞をいう。
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